俺の他愛も無い話を淡々と載せるだけのブログ

俺の独り言や人生などを独りよがりに書くだけです

満ち足りてるよりも多少貧乏なぐらいが一番楽しいのかもしれない

何も困って無ければ頭も使わないが

ギリギリの生活をしている分には

あれやこれやって頭を使う

 

例えばこのiphone5sだって十分Wi-Fiでラジオ聞く分には

何の問題も無いじゃんって話

 

ハイスペックスマホ&パソコン持ってても

そのパフォーマンス引き出さなきゃ何の意味も無いからなぁ

 

肋骨骨折して10日目ですがレントゲンを撮った結果、悪化していました

全く良くなっているどころか 悪化していました

 

痛みが消えてきたので チャリで買い物とかに

行ってたのが 良く無かったみたい

 

医者からは絶対に安静って言われて(もし入院施設があったなら入院レベル)

とりあえず一週間は 引き篭もります

 

食料はどうしよう???

 

って思って 近くのネットスーパーやら

楽天市場やら アマゾンやら ヤフオクを一周 見てきましたけど

割安感があるものは あるみたいですが やはり食品を目で 確かめないで

買うのは ちょっと・・・・・・

 

どうしたらいいものか・・・・・

 

まぁ買い置きは あるので暫くは 問題ありませんが

 

 

カンボジア プノンペンで働いていた頃の思い出 

私は紆余曲折して

 

30歳ぐらいで カンボジアで一年ほど 日系旅行社の現地企業にて

 

働かせて頂いた事がありました

 

とは言え 出向なんて上級国民じゃなくて 僅か月給1000US$の

現地採用社員でしたが

 

だが生活は 日本よりも楽だったと思います

会社が ホテル代月400ドルを 支給してくれましたし

何しろ ランチ中華一食食べても 1ドルの世界ですから

 

それに 日本からのツアー客が入ると 私はガイドとして

100回以上は アンコールワット遺跡がある シェムリアップには

行っていると思いますが

 

ツアーに入るとこれが旨いモノばかりタダで食べれるから余計に

お金を使わない訳なんですよ

 

更にカンボジアは チップ社会じゃないけども やはりそれなりの

ホテルに泊まるとなると チップを払うのはスマート

 

となると 私にもまぁ9割ぐらいのお客様は チップを下さいます

 

でまぁ そのチップの話になるんですが 色々なお客様が居る訳です

一番太っ腹だったのは 何と行っても 自◯党の国会議員様でした

 

3日間ガイドをして 何と300US$を頂いてしまい 驚きを隠せませんでした

 

逆に(゚Д゚)ハァ?と思われた方も いらっしゃいました

 

そちらはアンコール遺跡を 周遊する為の街 シェムリアップ

 

深夜に飲みすぎて ベッドからコケて 骨折してしまった

 

大型団体の年配の方でしたが これは大変でした

 

 

マネージャーは休暇取って フォローが一切無く

 

一同は翌日ツアーの 日程道理に遺跡を回れません

 

当時のシェムリアップなんて 日本人をロクに見れる病院が

まずありません 一同は半日病院の横のバス に釘付けになってもらう

しかありませんでした

 

色々なお客様が いらっしゃいましたが あそこまで 手こずった仕事は

後にも先にもありませんでしたが 1ドルの謝礼も頂けませんでした

 

まぁチップってのは 特別な気遣いをしてもらった 結果の感謝の気持ちだと

 

私は思っていますので 私の仕事具合がなって なかったんだと 納得しております

 

人生日々修行

 

 

 

 

結論 初めてキメる時には一人で吸ったら駄目って事

俺はキャピトルゲストハウスにチェックインして

吸ったジョイント大麻を、三服した後に、時間の観念がおかしくなって

いってる事を知った。

 

カンボジアプノンペンではバイタクが事ある毎にクラクションを鳴らすんだが

その周期が長くなったり短くなったりして俺はパニックに陥った。

 

(俺は狂ってしまったのかもしれない・・・・・・・)

しかし着いたばかりの街で、ゲストハウスで知り合いなど居るわけも無い!!!

 

俺は裸足で1階のレストランへ降りて行き日本人を見つけることができ

事情を話した。

 

その男も決してプロと言う訳でも無かったが、まぁ事情を聞いてもらい

その後、街を案内してもらったんだが

 

大麻は昨今、アメリカの一部の州・カナダで医療用でもない

所謂遊びの為に開放された

 

これは世界的にもこの流れが来てて未だに、大麻は麻薬だなんて

言ってるのは日本のNHKぐらいのものである(シンガポールはもっと厳しいかだも)

 

とにかくセッティング これに尽きる

場所・人・モノ 最初はすべて上級者にリードしてもらうべしである

 

そして我国に戦前に存在して居なかったアメリGHQが石油産業を

進める為に無理やり押し付けてきて今では自分では開放してきている

アメリカ様は頼むから日本に圧力を加えてほしい

 

アメリカ全土が開放になったらその流れは止むを得なくなるかもしれない

 だけども法律は法律 今の日本国内で 吸ったら駄目だぞ

単なる雑草なのに 天下のNHKが麻薬って 言っちゃう国なんだからなぁ(嘆き)

 

法律上でも大麻と麻薬って はっきりした違いがあるのに 麻薬って言っちゃう国だからなぁ

はじめての カンボジアの魔都プノンペンへ 97年7月

プノンペンのポチェントン空港に、着陸した双発機は静かに、プロペラを回しながら

止まった。

 

俺はまず安ホテルにチェックインするとまずマリファナを手に入れる事にした。

勿論、大麻なんて吸った事など無いが宿の外に居るバイタクから5分以内で

ジョイントをゲットする事が出来た。

 

これは大きなミスだった。初めての国、右も左も分からない。

知り合いも居ない、知識も無い、安宿、すべてにおいて最低のセッティングだった。

 

バカとしか言いようが無かったが俺は大きく一服してみたが、何とも無い。

それもそのハズ、大麻はタバコとは違う。ラグが有るんだから最初は様子見しながら

吸っていく必要があるが、俺は続けざまに大きき吸いまくった。

 

バカとしか言いようが無い。本当にバカだった。

 

俺の人生を変えたのは、一冊の本と一本の、草の根パソコン通信であった その2

そんな中、世の中に、ウインドウズ95とかいうのが出てきて

同時に、インターネットが出現し私は、パソコン通信とインターネット明け暮れる日々を送っていた。

 

私は、とある1回線のアングラ草の根パソコン通信で、

カンボジアが凄い状況らしい事を知った

 

日本でいったら、太平洋戦争が終わった直後と同じぐらい、滅茶苦茶らしくて

これは見に行くしか無いと思い、4年務めた学習塾を辞めて単身プノンペン

飛び立った。

 

プノンペンの上空で着陸前に地面を見て私は、ビビった

これはまるで、アフリカの大地じゃないかと・・・・・・

 

 

俺の人生を変えたのは、一冊の本と一本の、草の根パソコン通信であった その1

私は、大学に入学したものの、5年通って

一度も出席せずに単位(逆に言うと0出席で7単位)を記録したせいで

バブルが弾けてた私には、就職先などあろう訳が無かった。

 

従って、俺は大学卒業後、教員になろうと思い

通信制の3年時に編入したんだが

 

世間は厳しかった。 今こそ教員は激務で

倍率も低いそうだが、バブル崩壊直後では

教員採用倍率は10倍に達していたし

 

優秀な人間が、教員になろうとしてる中で、私が教員採用試験に受かる訳が無かった。

そんな中でとある塾が専任講師として、俺を拾ってくれたのだった。

 

あれは俺に、」とってとてもありがたい話だったし

仕事も楽しかったしやりがいもあったのだが・・・・・・

 

しかし、俺にはインドに行くという夢をどうしても、忘れる事が

出来なかった。

 

沢木耕太郎の「深夜特急」を、大学時代に読んでいて憧れていたからだった。

だから、いつも出勤時には、いつかこれがインドに旅立つ列車だったならなって

思って、中央線八王子駅から上り列車に乗ったものだった。